kiyoneさんエイプリルフールだけど超真面目にブログを書く

10年前正規雇用型派遣会社の電気系エンジニアとして就職しました。

2ヶ月ほどの新入社員研修を厚木で受け、初めて行った派遣先は静岡県浜松市の某楽器メーカーのカラオケ部門。

大学時代3度の飯よりカラオケが好きだった私は当然ながら嬉しかったし、その後あこがれていた某サウンドのカラオケ事業社の担当責任者と名刺交換も行った。

派遣先の雰囲気も良かったが、何より浜松地区で業務についている同僚との飲み会は会社の飲み会と言う雰囲気と言うよりかは「仲間」と言う感じが強く、当時は土日もほぼ会社の研修やら勉強会に積極的に参加し、いつか自分も後輩のスキルアップに一役たてたらな。。。。なんて思っていた。

実際の派遣先での業務も2年目には後輩を持て、3年目には主担当を任せてもらって海外のカラオケ機器を全て任せてもらう立場になっていた。

が、やはり悲しきかな、正規雇用と言っても所詮は派遣。リーマンショックには勝てない。派遣先がアメリカに事業を大きく展開していた会社であったこともあり、トップダウンで正社員以外は切り捨ての命令が下る。

入社4年で最初の派遣先を終了し、「復帰(と言う名の自習)」。一応そこでも若手のリーダー的な立場に選ばれて入社5年未満の若手として講師等を務めることもしばしば。そういった前向きな努力も認められたのか、リーマンショックの中、2ヶ月で次の派遣先が決まる。

そして静岡県浜松市から三重県鈴鹿市に異動。次は自動車部品メーカーの制御ユニット開発。職場の雰囲気は全体的に暗く、基本的には説教をして無理やり仕事をさせるスタンス。しかも不景気なのは変わらないので残業は課長職以上以外はするな。でも仕事は定時で終わらず持ち帰ることもしばしば。

気がつけば精神を病み、自殺未遂もしばしば。

そんなこんなで医師の診断書を提出して2週間ほど休職。その間、派遣元の上司に契約終了を願ったところ

「定時退社で残業もしていない、休日出勤もない。長時間労度もないので業務契約に問題ない。君と同様の症状で薬を飲んで業務についているものもいるし、そんなことで契約終了しても次の契約先を紹介できない」

「それはつまり、このまま職場復帰するか、辞めろってことですか?」

案の定、上司は立場上、「辞めろ」なんて言えるわけもなく無言。浜松時代、会社の為に尽くそうと思っていた自分が馬鹿らしくなった。

2週間後、退職願いに一筆し、浜松時代の上司にのみ、退職の挨拶のメールをした。社会人になって5年経っていた。

6年目。実家に帰って療養&転職活動、夜は個別指導塾講師。当然ながら前職の職務経歴から同業他社ばかり。業界最大手にいたので同業他社では内容変わらずで福利厚生だけが落ちてしまい転職の意味が無い。

もう2度と同じ失敗はしないためにも、今までの経験を生かし、より上流のフェーズで仕事が出来る会社に転職しようとする。

100社以上のお祈りをくらいつつも某新聞印刷機器メーカーと某商店レジ機器メーカーに内々定を得る。が、会社都合でそれぞれ白紙に。

でも決まるときは直ぐに決まる。一次面接から内定まで10日で某社の内定が出る。奇しくも前職での自動車関連業務経験が活かせる会社。

トラウマとなっている分野を活かせることに非常に悩んだものの、「上流の仕事ができる」と言う求人票の言葉を信じ、入社を決意。

そんな転職活動から早5年弱。気がつけば浜松での派遣先4年を超えてもうすぐ派遣元での社歴5年を超える。

最近のアニメで言えばえまちゃんから転職してみゃーもりに、そして昨年くらいからディスク的立場になりました。

そして本日で社会人11年目。10年前派遣社員として入社した会社から派遣社員を雇う立場になりました。もし、業務内容ではなく、景気都合で業務形態や契約終了が判明したときは必ず守っていきたいと思います。